当たり前は、いつまでも当たり前ではない

西日本に住んでいる者としては、駅構内に設置されているコンビニと言えば、「ハート・イン」。
それがセブンイレブンに転換され始めたのが2014年に入ってから。
日々利用している岡山駅の構内も、改札口内外にセブンイレブンが展開され、2016年末辺りには地下改札近くにあったハート・インもセブンイレブンへと転換した。

そういう訳で、それまでは帰り道の途中にあるセブンイレブンを頻繁に利用していたが、改札を出てすぐにあるセブンイレブンで用を済ますことが多くなった。
それでも品揃えの関係で、頻度は減っても定期的に利用していたのだが、さっき立ち寄ると今月末でそのセブンイレブンが閉店するとのこと。

岡山に来たのが7年前。
大学に入って同じ部活になった同期と長話をしたのが初めてここを利用した時だったか。
バイトの帰りはここで弁当と缶のファンタをよく買っていた。
酒が飲めないながら、仕事終わりのファンタを飲むと、まるでマンガやテレビで観る缶ビールを一気に飲み干すサラリーマンの至福の一時ってこんなのだよねって思ってた。
乾いた喉にファンタオレンジって、たぶんビールの代わりになると思う、いや、ならないか。甘いもんね。

話を戻そう。
このお店、交通量が多くお客さんがよく入っていて、立地がRichなんて洒落を言いたくなる程だったから、売上が閉店の理由ではなさそう。
オーナーや店長が少し高齢だったから、それが主要な原因かな。

店内のガラガラになった棚を見て少し寂しくなる。
もう何年も同じ時間帯ばかりに通っているけど、その何年間もいつも同じ店員さんがレジをやっていて、その当たり前のルーチンが月末で終わってしまうことが頭によぎり、また寂しくなる。

たまに地元に帰ったとき、見慣れた風景がすっかり変わってしまっていることに気付く。
けれど変わりすぎてて、元が何だったのかが思い出せなかったりする。
小さな変化が積み重なって、その小さな変化を見ていないから、どこか現実味がないというか。
地元だけど、そこに広がる世界が非日常な世界だからかな。

日常に当たり前にあったものが終わりを迎える。
こんな小さな変化でも、日常からなくなるのは、たまの地元での大きな変化よりもずっと寂しいのは何でだろう。



何か残しておこうと、1枚だけ写真を撮る。
何事もなくなってからは遅くて、少しでも記録に残すことができるのなら、躊躇せず残す。
ほんの小さな行動の一つ一つが、今は何の価値も持たなくとも、時が経つにつれて、それに価値を見出されることがあるだろう。

当たり前を看過しない、当たり前がいつかは当たり前でなくなるから。
常々そう思っているけれど、改めて自分に言い聞かす。

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